ギャンブル地獄で〈意志〉はない

 病的ギャンブリングに関して、患者自身そして家族が共に陥ってる錯覚は、この病気が本人の〈意志〉の力でどうにでもなると思っていることです。

 本人の〈意志〉が弱いからギャンブル地獄に陥り、抜け出せないのだとたいていの

一は思っています。このため、〈意志〉さえしっかり持てばギャンブルはやめられると信じ、誓約書を書かせて、借金の尻拭いをする例があとを絶ちません。

 この病気は〈意志〉とは無関係です。ましてギャンブル地獄に堕ちてしまっている病人には、もう〈意志〉はないと考えるべきです。

 それでは、病的ギャンブラーの〈意志〉はどこに行っているか、私は冗談で、〈意志〉は石となって道端にころがっていますよと本人や家族に言います。

 こんなことがありました。病的ギャンブラーの息子を、両親が連れて初診しました。ほんにんはしぶしぶの受診です。病歴と質問紙表の結果から、病気であるのは明白でしたので、治療を勧めました。治療を始めなければ、この病気は進行性で自然治癒もないので、重症化するだけですとも言い添えました。

 するとその息子は、よほど治療には気乗りがしなかったのでしょう。「先生、もう一度意志を強く持って、やめてみせます」と言ったのです。

 私は、まだパチンコ・スロットに未練があり、やりたいばかりだなと思い、黙っていましたが、後ろに控えていた父親が大声で息子を叱りつけました。

「馬鹿たれ! お前の〈意志〉というのは三百回ぐらい聞いたぞ」

 私はなるほどなと思いました。父親の方が、何度もだまされた果てに、この病気の本質を分かっていたのです。

 この若者も観念して三ヶ月の入院をし、今ではでは四年、ギャンブルをやめています。

 どうして病的ギャンブラーの〈意志〉はなくなってしまったのでしょうか。

 〈意志〉よりも強い〈脳の変化〉が、そうさせてしまったと考える方が真実に近いと思います。

 2000年頃から、それまでギャンブルに縁のなかった人が、忽然としてギャンブルにとりつかれる例が、パーキンソン病を治療している神経内科医から報告され始めました。

 パーキンソン病は、脳の黒質(こくしつ)から放出されるドーパミンが減って、手の震えや歩行障害、表情の喪失、機敏性の低下、注意障害や記憶障害が生じる進行性の病気です。治療には主としてドーパミン補充療法が行われます。不足しているドーパミンを薬で補う療法です。

 患者は症状を早急に治そうとして、所定の量よりも多く服用する傾向があります。こうしてドーパミン作動薬を過料服用した患者が、突然ギャンブル行動に走り出すのです。もちろん、わが国での報告もあります。ギャンブルなどしたことがなかった高齢患者が、またたく間にパチンコにはまり、貯金も使い果たした例です。

 このギャンブリング行動は、服薬量を減らすことで抑制されます。ドーパミンとギャンブリング行動が深く関連しているのは、この事実からも明白です。

 それではドーパミンとは何でしょう。ノルアドレナリンやセロトニンとともに、神経伝達物質の一つですが、意志決定に深く関与しているのがこのドーパミンです。

 意志決定には三つの段階が考えられます。まず最初に来るのが、選択肢の評価と順位づけです。取りうる行動の種類を並べ、現時点でどれが重要かを考え、取るべき行動の優先順位を決めます。

 次は行動の選択と実行です。そして最後に結果の評価がきます。結果がどうであったかは、最初の選択肢の評価と順位づけにフィードバックされ、次回の選択の際の参考に寄与します。

 この三段階のどの過程にも、ドーパミン作動性神経系が重要な役割を演じているのです。

 ドーパミンはまた、脳内報酬系を担う重要な神経伝達物質でもあります。

 たとえばラットを使った基本的な実験をみてみましょう。箱にラットを閉じこめて、レバーを動かせるようにします。ラットの静脈には細いチューブが固定されていて、レバーを押すと覚醒剤が静脈内に流入するようになっています。つまり、ラットは覚醒剤を自己投与できるようにしておくのです。

 たまたまレバーを押したラットは、すぐに覚醒剤の〈味〉を覚えます。覚醒剤が代謝されて血中濃度が低くなると、またレバーを押します。このレバー押しの行動は次第に増加し、最後には、水や餌が出るレバーなど見向きもしなくなります。水と餌を接種しなければ、死が待っているのですが、ラットはそんなことはおかまいなしです。

 このラットの行動は、第二次世界大戦後、シベリアに抑留された日本軍兵士の行動を、私には想起させます。報告したのは抑留後帰還した元軍医ですが、日本兵たちは私製で花札を作って、興じていたそうです。ところがある兵士は、なけなしの食事三食分を賭け、負けてしまい、餓死したというのです。

 ドーパミンの代謝異常によって、以上のような意志決定の過程にも、脳内報酬系にも、不均衡が生じていると考えていいでしょう。

 まず意志決定の第一段階で、選択肢の評価と順位づけが乱れてしまうのです。ギャンブルなど、選択肢から外すべきなのですが、そうはいきません。たとえ選択肢にのぼっても、最下位の順位にすればいいのに、そうはなりません。

 第二段階である行動の選択と実行も、ギャンブリング行動の轍(わだち)が色濃く脳の中に残っているので、なにも考えなくても行動はその上を突っ走ります。もう一年間もギャンブルをやめている女性患者が私に報告したことがありました。「仕事の帰りに他のことを考えて車を運転していたら、いつの間にか腕がパチンコ店の方にハンドルを切っていて、びっくりしました。あわててハンドルを切り直しました」

 さらに最後の結果のフィードバックですが、これもうまく機能しません。負けても負けても懲(こ)りることなく、同じ行動が続きます。

 脳内報酬系はどうでしょうか。この回路には二つあると見なされています。ひとつは、近い将来の快感報酬に関連する回路で、へん桃体(へんとうたい)を含む脳の奥深いところにある衝動的な神経回路です。

 もう一つは、遠い将来を見通した思慮的な回路で、全頭葉皮質回路です。(注 ゲームをやり続けていると、ここの回路がだんだん機能しなくなるという海外からの報告あり)

 通常人ではこの二回路がうまく釣りあっているのですが、病的ギャンブラーでは、ドーパミンの代謝異常のために、バランスが崩れています。つまり、衝動的神経回路が過剰になり、前頭葉皮質回路は影が薄くなっています。(岡田尊司氏の指摘では、依存的コアゲーマーや依存的ネットユーザーもバランスが崩れている)

 ですから、遠い将来の結果などどうでもよく、今すぐの快感報酬を得ようとして、行動に走ってしまうのです。(私もそうですが、ブログのように書いてすぐに、ブックマークやアクセス数のようなリターンが返ってくる刹那的快楽に身を浸しがちです。それ故、時間がかかって、最後まで完成しないといけないプラモデルが最近は苦手です。意図的にプラモデルを作って改善しようとしてますが)

 先に述べたレバーを押し続けるラットの実験では、もうひとつ見逃してはならない結果があります。薬物の自己投与を学習した依存ラットを用いて、レバーを押しても押しても薬物が出ないようにしておくと、ラットは最終的にはレバーを押さないふつうのラットになります。(逆説的に見れば、鬱屈した人間が恋愛や仕事などの不得意分野に挑戦してもうまくいかないことが続くと、次第に挑戦することを諦める諦念の学習にもつながると考えられます)

 しかし薬物の色を見せたり、ほんのちょっと臭いをかがせたりすると、ラットは再びレバーを押し始めるのです。知らず知らずのうちに脳の中にごく少量の薬物を注入したり、あるいはストレスを与えても、猛烈にレバーを押し始めます。薬物が出なくてもです。

 これは病的ギャンブラーがスリップ(再びギャンブルに手を出すこと)する際の行動と酷似しています。パチンコの映像をテレビのCMで見たり、パチンコ店の液晶の広告塔を目にすると、ギャンブル欲求が湧いてきて、落ち着かなくなります。かと思えば、ギャンブルとはなんの関係もないはずのストレスがかかっても、なにくそとばかりギャンブル場に走ってしまいます。

 このように、長年のギャンブリング行動によって、脳の機能変化が濃厚に生じており、もはや通常の〈意志〉は働かなくなっているのです。

 病者に〈意志〉があるものと大きな誤解をしているからこそ、周りの者は説教もし、借金の尻拭いもするのでしょうが、糠に釘、豆腐にかすがいとは、まさにこのことでしょう。〈意志〉の働かないところに、説教は通用しません、ましてや改心など、天と地がひっくり返っても起こり得ません。

 百の説教や、〈意志〉に期待するより、これを病気と認め、治療の道筋に乗せることが大切なのです。

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やめられない ギャンブル地獄からの生還
作者: 帚木蓬生
出版社/メーカー: 集英社
発売日: 2010/09/03
メディア: 単行本(ソフトカバー)
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